自己紹介

本名:宮城雅司

出身:宮城県仙台市

年齢:42歳

家族:妻と娘ふたり(19歳、13歳)

趣味:SUP、カヌー、ギター、ドラム、写真、旅

職業:便利屋、ゴミ回収、宅急便&郵便の配達

   介護ヘルパー

 

島の便利屋 こまわりさん代表

小笠原消防団 団員

母島小中学校PTA会長

東京都鳥獣保護管理推進員

小笠原 都住を考える会(母島)主催

ふるさと検討会理事

母島部活堂 主催

南洋踊り保存会 副会長

母島カノー倶楽部 副部長

元 母島青年会 会長

NPO法人 ワンライフ 理事

 

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 19歳の時に初めて小笠原に来て、今まで会った事もない面白い人々、大自然に溢れた小笠原に魅了されました。

 21歳の時から父島・母島に住んできていて、妻と二人の娘を暮らして来ました。

 長女の出産の時は切迫早産で妻が緊急搬送となり、島でのお産ができないという問題を肌で感じました。そこで「小笠原のお産を考える会」を作り、沢山の要望や対話集会を経験し、村独自の出産一時金の増額、内地に出産で滞在する滞在場所の確保などの訴えをしてきました。

 小さな子供を育てる中、食の安全に興味が出てきて、家族で約1年間日本中の自給自足をしている様な所を周り、持続可能な暮らしとは何かを学びました。

 そこから畑を実践してみたくなり、母島に農地とヤギを飼う環境をお借りできたので、父島に8年住んだ後は母島に移住をしました。

 母島で子育てをしながら、色んな仕事をしながら、母島青年会やPTAなど地域行事にも関わり、「母島部活堂」や「ふるさと検討会の活動」を通して、島の課題や切望の想いを知り、何とかできないものかと思っていました。

 近年、母島の人口で65歳以上が4分の1を越え、ガイドや農業者も次世代不足の中、若い世代の定住の要となっている、都営住宅の募集停止という現実が目の前に立ちふさがっていました。何でも公営住宅に依存するのはおかしいかも知れませんが、母島には民間の世帯向けのアパートはないのです。

 

 

 

●ヒストリー

1981年

仙台市に生まれる

 

2000年

19歳の時に初めて小笠原へ観光で来島

2航海滞在

素晴らしい自然と人々に衝撃を受ける

 

2002年

父島の宿、母島の宿で住み込みで働く

秋からは父島の宿で働く

 

2003年

結婚

妻が切迫早産となり、妊娠29週で緊急搬送

広尾にある日赤医療センターへ搬送される

妻の入院中は広尾の弁当屋で働く

長女が助産院で生まれる

 

2006~2007年

2歳の長女、妻と共に自給自足を学ぶ旅に出る

WWOOFの制度を使い、日本中の農家やフリースクールなどを周り、

持続可能な暮らしを学ぶ(約1年間)

貨物船共勝丸で帰島 

 

2008年

自然調査、外来種対策の仕事に就く

母島へ移住

介護ヘルパーを始める

農を開始

 

2009年

出産の為に半年間、安曇野で生活する

次女が自宅出産で生まれる

 

2010~2020年

持続可能な農を模索しながら百姓を続ける

同時に入港日の宅急便、郵便の配達

介護ヘルパー

自然調査、外来種対策の仕事(アイボ)に就く

 

 

2019年

東京宝島事業地域コーディネーターに就任

 

2020年

母島の活動として「母島部活堂」を開始 

島の色んなテーマで話し合う場を設ける

 

2021年

自然調査、外来種対策の仕事(アイボ)を退社

ゴミ回収の仕事も始める

便利屋こまわりさんを開業

 

 

2023年

小笠原村議会議員選挙に立候補