2023.12.13議会定例会一般質問
★太平洋戦争の影響を今も色濃く残っている小笠原。
沖縄や鹿屋、予科練などには平和記念館があり,
拝見しましたが、父島・母島にはそのような展示施設が今はありません。
その中で、戦争の遺品や資料などが個人で保管されている現状があります。
しかし、高齢化も進み、個人での保管が難しい状況になって来ています。これは村の貴重な財産の損失に等しいと思っています。
今回の一般質問で戦跡資料の保存と展示について質問をしました。現実問題、新たな施設を建てるのはすぐには難しい状況ですが、個別に村に相談してもらえれば、保存に関しては相談に乗って行くという答弁を頂けました!
議会の翌朝にも村長がすぐに動いてくれました。
アーカイブはこちらからご覧になれます。01:23:38からです。
↓議事録
【ジャイアン】
小笠原村は太平洋戦争の影響を歴史、文化、あらゆるに受けています。
現時点でフィールドに塹壕や大砲跡などの戦跡はありますが、展示などはほとんど見られないのが現状だと思います。
父島では小笠原高校のロビー、ビジターセンターの展示の一部などで、母島ではロース記念館に一部戦争の物品が展示されている状況です。
そんな中、戦争当時の遺品や手記など現存している貴重な資料などは個人の保管という現状も聞いています。
他地域ではどうでしょうか? 沖縄にはひめゆりの塔や、戦争の資料館が幾つも存在します。僕自身が訪問したことのある、沖縄の小さな伊江島ですら、平和資料館が2つありました。去年は茨城の霞ケ浦にある予科練の平和記念館を訪れて、そこで神風特攻隊として小笠原の方で散った若者の手記が展示されていました。
そして、平和都市宣言をしている小笠原には硫黄島以外には平和記念館というものがありません。一般人が住む父島・母島には戦争の記録資料のしっかりとした保存、展示をメインとする施設がないのが現状です。
これは小笠原というパズルのピースをひとつ失ったままの状態と言えるのではないでしょうか?
島の歴史を知り、戦争を学び、二度とこのような過ちを繰り返さない為にも、戦争の記録資料の保存、展示が必須と考えます。
そこで、この戦跡資料の保存と展示について質問をします。
まずは、小笠原村において、戦争の資料を保存、展示する平和記念館などの必要性と重要性についてお聞きかせください。
その他の再質問等については、自席で行います。
【渋谷村長】
宮城議員の質問が歴史資料という内容の質問ですので、教育長から答弁いたします。
【桐川教育長】
宮城議員の質問について答弁いたします。戦争遺跡や当時の記録等の資料は、歴史の記録と継承、未来への教訓や平和学習の資料としても重要な意味を持つものとして認識しております。
このような資料を展示する施設の必要性について明確な回答は持ち合わせておりませんが、戦争に関する資料だけではなく、本村の歴史や成り立ちに関わる重要な資料については、保存し、継承していくことが重要であると考えております。以上でございます。
【ジャイアン】
重要なものであるという認識であり、僕自身や戦跡資料の保存や展示を望んでいる方と認識が同じでひとつホッとした部分になります。
では、新たな平和記念館(郷土資料館)を整備することは考えているでしょうか?
また短期的な計画が難しい場合には、中長期的な展望はあるでしょうか?
【持田教育課長】
現在、平和記念館、郷土資料館等を村が新たに整備する予定はございません。また、中長期的な展望としても、現在建設中の小笠原小中学校・母島保育園、その後の父島保育園建設と、今後も既存施設の大規模更新事業が続いてまいりますので、郷土資料館等を新たに整備する計画はございません。
【ジャイアン】
了解しました。現状はなかなか難しいということなのですね。父島の奥村にある旧シーサイド浅沼を「ふらっとハウス」として再利用したように、既存の建物を利用していくのがひとつの方法だと考えますが、このような考えはあるでしょうか?
【持田教育課長】
郷土資料館については、既存施設を利用した計画もございません。
【ジャイアン】
現時点で既存の建物を利用できる計画がない事は理解しました。
戦争遺跡や歴史に関する資料を収集している村民の方がおられるが、そういった方々の高齢化が進んでいる現状です。収集品の中には、戦争遺族の手記など、とても大切な貴重な資料が含まれています。ある程度リミットが限られている中、このような貴重な資料の保存について行政としてできることはないでしょうか?
【持田教育課長】
まずは、個人の方が収集した資料については、収集された方の責任の下、管理されるものと承知しております。これまでに、非常に貴重な資料等の寄贈を受け、小笠原村教育委員会事務局で保管しているものもございますが、限定的かつ特殊な対応であるということをご理解いただきたいと思います。
また個人や民間団体等が主体となり、所有する歴史資料等を整理(データ化含む)し、一般の方々に公開する取組等については、地域振興等の補助金を活用できる可能性がありますので、ご検討いただければと思います。
【ジャイアン】
重要な資料であると認識されていながら、現時点では個人や民間にお願いしざるを得ない現状であることは理解できました。しかし、そのままでは小笠原の歴史を語る重要な戦争の記録、資料が失われる状況であることには変わりがありません。そのままでいいのでしょうか?
先日、都庁の東京都行政部、小笠原支庁、ビジターセンター、北関東防衛局(自衛隊)に、小笠原の戦争の資料の保存、展示することの重要性、必要性、時間的猶予のなさについて要望してきました。村としてこの戦争の時代にしっかりと向き合う気持ちを持って示してもらいたいです。それがあれば都や国もフォローしてくれる状況にあると感じています。ぜひ、村がスタンス、舵取り役になって要望していく事を望みます。
村の戦争と戦争資料の保存と展示について、観光資源としての考えを産業観光課大津課長にもお聞きしたいです
【大津課長】
戦跡、戦争資料の展示ということで一般論として申し上げますが、歴史資料の中でも重要な資料に関しては今後、観光資源として活用する可能性はあるかと考えているところでございます。
【ジャイアン】
ありがとうございます。戦争の展示をすることには新たな施設を作るというのは難しい状況と思うのですが、今回、この戦争資料の保存と展示について要望頂いた島の方は、森下前村長と約束をしていたそうです。「村の学校や診療所など、今やらなければいけない老朽化している施設の建て替えが済んだら、次は平和記念館などをやっていく。だからもう少し待っていてくれ」と。皆さんがご存じのとおり、森下前村長はその後、ご自身の病気などで志半ばにご急逝されてしまいました。本当に残念で悔しい気持ちです。是非とも時間がかかってもその約束が叶うことを今でも願っています。
最後にそんな戦争資料の保存と展示について、今後の扱いについて村の所信を村長に伺います。いかがでしょうか?
【渋谷村長】
自分自身が森下村長の遺志を継ぐと言って、選挙に出たわけですけれども、今の話については残念ながら、私自身にそれを引き継いでいた記憶が今ありません。今おっしゃっていたように、先ほど課長が言っていたように様々な施設更新がありますから、今ハードとしての展示施設を建てるということに至っていないのも事実ですし、多分10年、15年かもっと先の話になろうかと思います。一方、今現在、宮城議員がお話されている様な方もご高齢によってその資料の扱いをどうしようかとお考えであれば、施設を待ってその資料をどうこうしようではなく、資料の扱いについては何らかの形でご相談を受ければ、教育委員会を中心に相談を乗って行くという対応をしていきたいと思います。
【ジャイアン】
まずはそうした個別に相談に乗ってもらうということからやってもらえればと思います。